昔話に学ぶ

 

中国の古典とか昔話など、昔から伝えられている話には、大切な事柄が非常に多く含まれています。

荘子 「無用の用」

「我々が立っている大地は限りなく広いが、今、我々が立つ為に必要な広さと言えば、足形2つ分の僅かなスペースに過ぎない。
 しかし、だからと言って足形2つ分のスペースだけを残して、周囲を地の底まで掘り下げてしまったら、はたして、そこに立つ
 事ができるだろうか?」

無用な物があるからこそ、有用な物が生かされているのです。

発酵している食品よりも、発酵していない食品の方が重要なのです。  ※ 発酵とは、微生物の分解活動です。

栄養学は、繊維質を無用の如く見ていますが、実際には、無用のように見える繊維質こそが重要な役割をしているのです。

荘子は、あらゆる角度から、無用の有用性を説いています。


 

インドの寓話 「群盲象評」

「昔、一人の王が余興に、生まれつき目の不自由な人を大勢連れて来させた。 そして、一頭の象を引き入れて、盲人たちの
 真ん中に立たせた。 盲人たちは手を伸ばし、身近にいる象の体の一部に触れるように指示された。 その結果、ある者は頭に触れ、
 ある者は耳に触れ、ある者は牙に触れ、又、別の者は鼻・足・尾などに触れた。一人は、尾の先に触れた。 そこで王は、盲人たちに
 、「いったい象は、何に似ていると思うか?」と順番に尋ねた。 大きく固い頭に触れた者は、「象は、鍋のようです。」と答えた。
 耳に触れた者は、「穀物を振るうザルのようです。」と答えた。 牙は、鋤を連想させ、足は、柱を、尾は擂り粉木を連想させた。
 尾の先の房だけに触れた者は、「象は、ホウキのようです。」と答えた。 王が面白がった事に、これら異なる意見の持ち主の間で、
 大論争が展開され、やがて殴り合いの喧嘩が始まったのである。」

仏陀は、真実の一面だけしか見ないで、全体を見たと独断的に考える人々も同じ事であると話したのである。

元京都大学学長の平澤興先生は、「一つの事が解れば、必ず、十くらい解らない事が出てくる。」と言われていました。

さらに展開して考えるなら、「十の事が解れば、百くらい解らない事が…。百の事が解れば、千くらい解らない事が出てくる。」
という事になって、物事が解るに従って、自分には何も解っていないのだと知るようになるので、物事が解る人ほど、謙虚な人間
にならざるを得なくなるのだろうと思います。

はっきりと物を言う人を見るたびに、「群盲象評」の話を思い出すと同時に、
昔の自分を思い出すと、恥ずかしくなってしまいます。  


「花咲爺さん」  「浦島太郎」

枯れ木に花を咲かせましょう!… と、枯れ木に“灰“を撒いて、死んだような木を見事に生き返らせました。… “灰”とは、一体何?

熊本県菊池郡大津町にある梛という、樹齢350年の大樹が枯れかけていましたが、現代の花坂爺さんと呼ばれていた中嶋常充農学博士は、
ミネラル(微量元素)を与える事によって、見事に生き返らせました。
中嶋博士は、土壌中のミネラル分析をしながら、害虫に負けない健康野菜を作られていました。

海の中にある竜宮城に、たった三日三晩行っていただけなのに、陸上に戻ってみれば時代が変わっていました。 海の中にいた時には、
年を取っていないのです。 海は、ミネラルの宝庫と呼ばれ、全てのミネラルを含有しています。
ミネラルが豊富な海の中に住んでいる魚には、シワがありません。  →老化現象が見えなくて、年齢が全く解りません。

超長寿の人が多く住んでいる地域には、カルシウムなどアルカリ性元素やミネラル分を多く含んだ土地であるという共通点があります。

昔話の中には、多くの健康長寿の秘密が隠されているように、私には思えるのです。